白昼夢と子どもの遊び
1:はじめに:
子どもは,醒覚の状態下で成人がうたた寝のとき見られる脳波状態を持って,成人と大きな差異を持っています。成人では,内言を通して,自分と自分で生き生きとして生じてきた感じとの間に立脚し,言語化での再現を繰り返したりし,自分で生き生きとして生じてきた感じということを,自分から自分と距離を開いたような位置に移動し置いて,そして情報への弁別することが精緻化し,脳神経活動で感覚から入力された情報を並んだり解析したり三角関数の周期信号に変換する「フーリエ変換」の周波数が高くなるということに相当して,速波の脳波に相当します。それは,成人の一般的精神活動の時に見られる脳波です。それは,抑うつポジションのレベルに主導されており,抑うつポジションでの特徴をよく表現したりします。抑うつポジションでの体験の特徴は,全体対象を扱い,そのために現実から受ける制約を承認して,魔法的に抹消したり変更したりすることができないという事柄が体得し,「歴史」という感じを持ち,延いては時間の流れを超えて自我同一性を持っていながら成熟な心理防衛機制を取り,自分と自分で生きてきた感じとの間に立脚して解釈的な自己を作り出して自己モニターや省みることは豊富にし,そして情報を細かく弁別することができます。しかし,抑うつポジションでの体験状態は,脳波の速波状態に大体相当し,一般的な精神活動の時作動します,自己心理学で指摘した誇大自己で提供する有能感や全能感らしい子どものように簡単な玩具や簡単な物語に対しても,幸福感や有能感がいっぱいで,そんな感覚に浸って,Winnicott,D.W.の指摘した主観的な全能感に基づいて,幸福で修復力が強い無意識の世界を構築することは,大人にとって普通の状態で少ないです。しかし,大人でも,十分に主観的な有能感や満足感に浸って十分な無意識的自己調節がある時も屡々できます。そんな状態は,睡眠の中で夢の状態にあたる状態というなのです。
2:精神力動学の視点から夢にとっての主観的体験:
成人において夢の内にパラノイド-シゾイド・ポジション(即ち妄想-分裂・ポジション)での特徴がよく出てきて,生き生きとして遊びらしく,再び児童時代の遊びのような具象で象徴化された世界が生き生きとして身近に感じられいるような体験に浸って,夢の「願望への充足」を心理バランスよく調整されながら実現されます。その時は,脳波が低年齢の児童の基本脳波の状態に相当する θ波と速波のβ波など様々な脳波が混入しています。そして,非常に明らかな示唆のように,低年齢の児童の主観的な全能感に満ちる遊びは,成人の複雑な防衛や偽装がある夢の中で,θ波の混入し始めるのが特徴のnon-REM睡眠の第一段階と似て,リラックスを意味する抗重力筋の筋緊張低下と内的世界が統合して整うのを意味する水平方向の急速眼球運動が見られ,そのように夢で願望を充足させようとする体験状態は小児のような状態をも含める事柄が示唆されて,小児のような全能で安全および普遍の世界に漂うような願望満足が含められています。それは,謂わばLacanの指摘した「世界の秩序を意味する象徴界」に検閲作用を内在化していない限り,低年齢の児童が夢をするとき願望の充足も偽装が少なく,そのままに潜在夢を呈する状態になるというように,遊びの中で,少しの道具や手がかりでも,夢が前日から受けた少しの手がかりや睡眠時の少しの刺激でもたくさんの物語りを創造的に想像するように,十分にストーリーの展開に浸っていながら夢で願望を努めて充足させると同一に心理バランスを努めて取ろうとします。
実際は,遊びは遊びの有能感や効力感こそ,完璧な自己世界が構築できます,たとえ対人関係がうまくいかなくとも。英国の出自を持ってアメリカのニューヨークで開業していた名高い神経心理学の神経科医師Olives Sacks が,臨床ケースのレポートにしてレポートをいつくか合成した著書『The Man Who Mistook His Wife for a Hat and Other Clinical Tales』において,自閉症児童など患者に対して,彼らがという意味の結論を出して,対人関係で水平的な関係を発達することに代わって自分から物体/自然界へ垂直的に深く関与していく「自分-物体/自然界」という関係の発達でも,生命の豊富や有能感や生き生きとした繊細な感じ及ぶ幸福感が獲得できる,という事柄を提唱しました。もちろん,ウィニコットの指摘した原初的母性の没頭,抱える環境という適切な養育の応答はやはり不可欠で,それは認知症者をパーソナリティ欠陥の精神病アプローチに避けさせる要因で,その要因での抱える環境たる間主観性に基づいてもっと進展していく人間関係の発達ができなくても,「自分-物体/自然界」の関係で対人関係に代わって幸福で完璧な自己世界を構築したケースも原初的母性の没頭や抱える環境の生い立ちが見られて,謂わば遊びが児童にとって,成人が夢の内にある時のように効力感や有能感への満足に満ちて無意識の内に自己調節がピークになる状態です。
そして,成人の夢は恰も特殊で魔術的な遊びのようなもので,逆に児童の遊びは,より能動的に行進する白昼夢と言えます。児童は低年齢ほど遊びの白昼夢らしい想像や体験に浸りがちの事柄は,早くから明らかにされました,それは,小さな児童ほど,現実へ扱う抑うつポジションが未だ十分に発達していないようになり,想像の世界に揺蕩って白昼夢の状態に慣れているからです。想像の世界に揺蕩って白昼夢の状態において,遊びは恰も睡眠中の夢で行う願望充足のように,白昼夢の中で心理バランスを取ろうとして心理自己の有能感を充足に回復したりもっと増したりしようとする態勢が見られます。
児童の遊びは,そのように恰も白昼夢の中で自己を癒したり発達させたりし,有能感を培いつつある全能感の世界に浸っています。その点について,児童の遊びは児童の文字がないナラティブ(narrative)の創作とも言え,子供は遊びの内にトラウマを再現させる時にとって,夢の中で辛さをもたらしている心的内容を解決しようとしてそれらの内容と接触し捉えながらも,解決できなくて逆に辛い心的内容に縛られて来るという態勢とほぼ同じです。
それは,児童が遊びの中で,白昼夢らしく有能感を獲得する願望を充実しながら,バンデューラの指摘した観察的学習をよく自発的に練習したりし,主観的全能感がどのように現実に直面して行くときの衝撃を緩和的に受容して統合するかという心理適応の技法も,遊びの内に反復されたりし練習されます。
3:子ども中心のプレイセラピーにとって:
前述のように,児童の遊びは,そのように恰も白昼夢の中で自己を癒したり発達させたりし,有能感を培いつつある全能感の世界に浸っていますので,白昼夢を治療者側から潰したり過度に解釈したりしたら,当たり前に有能感を培いつつある過程を切断しやすくなります。要するに,ある心理自己の心理秩序が成立できるのは,その心理秩序が合理的的かどうかと関係はありません,更にその心理秩序への理解という知的活動との関係も中々大きくません。そうしてこそ,合理的ではなかったり自分の利益を損害する態勢とメカニズムをも自分に理解されたりしても,やはり愛着されそうで振り放されない病的心理慣習があちこちに普遍的です。
それは,早くからW.R.D.フェアバーンで古典精神分析において快楽原則でも現実原則でも順当に解釈したわけではなく,謎のように頑固な病的心理依存の心理力動を理解使用としてみたときに,論じていられました。W.R.D.フェアバーンからすれば,内的対象関係がうまく構築できるかどうかという要素は,W.R.D.フェアバーンが嘗て扱った統合失調症患者が虐待してくれた親に依存して内的対象は良い対象関係での対象に転換できない要因になる。それが,もう1人偉い心理学者のバンデューラ(Bandura,A.)が指摘した自己効力感(self-efficacy)でよく微視的な対象関係の依存や離脱のプロセスをありありと理解することができます。
自己効力感は,行動制御の動機付けとしてある行動とある結果に対応する関係の結果期待,およびある結果を目指して必要な行動をうまく実行できる確信としての効力期待からなって,行動の遂行への主観的な意欲・努力およびその遂行の能力発揮レベルに大きく影響するのは,およびある結果を目指して必要な行動をうまく実行できる確信としての効力期待こそであり,そして対象関係において「対象への関係づけをやっていく」という内的対象関を構築していく過程において,自分に挫折や虐待をやってくれるにも関わらず,もし熟知した対象関係の様式はそれのみならば,自分に挫折や虐待をやってくれる対象関係に限って対象との関係づけが熟練したり,内的対象関係秩序のイメージ的な構築でも外的対象関係の行動実践でもそれらの遂行を熟知でうまく実行できる効力期待だったりし,結果としては,虐待や挫折をされており満足および満足の快感をずっとトラウマでうまく構築できないながらも,その自分に挫折や虐待をやってくれる対象関係への主観的意欲や遂行の能力発揮が高く動機付けされて高い水準に維持されており,対象関係は底在の欲求として対象関係づけという遂行過程の効力期待こそどの対象関係に依存するのかを決めて,意識のレベルには満足や温情をやってくる良い対象を願っていながらも,実に明らかにそんな希望が虚しい場合でも,そんな希望は虚しいのがわかっていながら満足や温情をやってくるのが虚しい対象への虚しい希望を持ち続けていって依存するという屡々見られる感情葛藤というは,無意識のうちにその虚しい対象関係を実現するために対象関係を構築しようとする遂行過程のみこそ,対象関係づけという底在の対象関係的な欲求の遂行は効力期待が貰え,そして対象関係づけの欲求は過程と結果が分断したり相反したり形で対象関係づけの欲求が効力期待づけられたりして,対象関係をどのように構築するかの実践(内的世界でも外的世界でも)への能力発揮や主観的意欲・努力に影響する効力期待期待の満足は,虚しかったり悪かったりする対象関係への遂行に囚われたりし,虚しかったり悪かったりする対象関係への遂行の過程で効力期待が貰えてその対象との関係づけは満足できているように感じられてこそ,その関係づけへの遂行はずっと高いレベルで動機付けされて依存の力動を形成し,その上に現実と相反する結果への期待をも無意識的に満足をも味わってい続けるというメカニズムなのです。それは,自己効力期待感のミスマッチから適応しようとする努力は葛藤を作ったり葛藤に捉えられたりする基本的メカニズムと言えます。
それで,遊びは,そんなメカニズムに狙って,自己効力期待の感じこそ病的メカニズムから抜け出そうとして整えるアプローチの有力な場合です。遊び特に児童の遊びにおいて,児童たちは遊びを「可能性に満ちた」移行空間(Winnicott,D.W.)として,整えようとしている内的対象関係を象徴的に外在化しながら,遊びで現実から受ける制約が少ないでリスクがないという利点を十分に利用し,自己統合を目指して内的対象関係を整える過程が上手く展開して行けるという過程に熟知させ,有能感と効力感があるアプローチに愛着したり慣れたりするようにさせます。
4:異なった発達段階にある子どもの遊びに応じるプレイセラピー(play therapy)
Preten,M.の児童遊び発達理論によれば,子どもの遊びは社会性の発達と伴っています。最初に,「無遊び」の状態から始まり,次第に一人で遊ぶ「1人遊び」,子ども同士が傍らで関わらないで同じ遊びを各自にする「並行遊び」,一緒に遊びますが付き合いのやり取りは洗練されていない「連合遊び」,社会性の雛形が出て組織的に遊び合う「協同遊び」という順に発達します。
その遊びの発達段階理論を対象関係論に対照させたら,間主観性の発達に伴って社会性が発達していく。その過程において,遊びの主観的全能感から,相手である他者が「大文字の他者」(Other)の形象に包括され,外的環境とされる生態系の総括が生物個体にとって大文字の他者らしい存在であるというようにして,心的世界のマトリックスにおいて遊びの相手たちが間主観性的な付き合いの外的環境の一部として,一見して子ども同士の間の遊びに過ぎない,更に1人遊びにおいて1人の子ども自分自身が外的環境の部分対象(移行対象として扱われます)を対処して進む遊びに過ぎないけど,主観世界の万能的な幻想が現実の法則やルールに多かれ少なかれ制約を受けなければいけないために,実に遊びの相手若しくは対象物を「大文字の他者」の一部としながら,その「大文字の他者」の一部をインタフェースとして「大文字の他者」から主観的全能感の去勢を受けなければいけないのです。
それは,KleinとLacanの指摘のように,母親と一体化のような主観的全能感という状態が,小さい文字の他者(other)である具体的な個人の他者同士との接触において発生するエディプス・コンプレックスではなく,普遍的な対象関係の意味において「自分自身,良い対象,悪い対象」との三角関係から由来し,「大文字の他者」(Other)という環境との接触の中で,一人一人の個人イメージが不明朗な環境を対象にして,どのような普遍的なルールを持つ環境に関わって葛藤をするかそのようで,「大文字の他者」(Other)との対象関係レベルでのエディプス・コンプレックス的な葛藤なのです。
しかし,「大文字の他者」(other)とのエディプス・コンプレックス的葛藤という用語を使用しますが実際の場合で自己心理学で指摘した「至適な欲求不満」に近接できるので「大文字の他者」(other)から全能感への去勢は屡々真の葛藤に必ずしもなりません。そんな心的で至適な去勢とは,自分の思い描く願望が満たされ続けるのは当然だという母胎と再び一体化してくる原初的全能感の状態を適切に切り整えて,困難を直面し解決の手段を探っていく場合でその行動を上手く実行できる効力期待の有能感へと質的に発達させます。そのように,そもそも他者への気づきが未だできない発達段階から,次第に「心の理論」(theory of mind)など間主観性および二次的間主観性の発達に至る過程で,必要な対象関係の刺激を提供します。
そんな意味からすれば,遊びは白昼夢ですが本当の夢と本質的に異なって,夢らしい状態ながら,ひとりぼっちに自己調節が特徴で外界から入ってくる情報の信号を全て夢の願望充足で濾過するという夢の状態と全く逆で,間主観性のマトリックスの信号に特に敏感なポイントは,遊びたる白昼夢の特徴と言えます。
終わり:そして,子ども中心のプレイセラピーにおいて論じながら,利点を精神分析・精神力動学の視点からもっと明確に発見し,その利点らをもっと十分に働かす可能性もあります。子ども中心のプレイセラピーでは,クライエント中心療法からヒ基本理念を継承したり,Axline,V.の掲載した「8つの原則」が名高いです。
それらの原則の下で,子どもが白昼夢の中に浸っている状態から,必要な現実的・大文字の他者的な規制を与えながら,子どもの感情を敏感に察知し伝え返し,子どもと温かい友好的関係で付き合って,進行を急にさせないという基本的技法で,子どもの遊びにおける「間主観性・社会性の発達」と「有能感・効力期待感の習得」という二重アプローチを,一つのテーマに溶け合わせることがよくできます。
もっと詳しく具体的には,治療のセッティング(setting)がもっと明確的に「大文字の他者」の役割りを強調しながら,非指示的態度で脳波が徐波にある遊びの状態を保護し,「漂う体験」に留まりながら,子どもと異なるセラピーの個性・感じにも気づくという成り行きのように子どもをさせることが,もっと着目されるべきかもしれません。
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