精神分析から防衛機制や弁証法的な可能性に満ちた「あいだの空間」およびそれで存在する主体性との関係を論じる

精神分析から防衛機制や弁証法的な可能性に満ちた「あいだの空間」およびそれで存在する主体性との関係を論じる


幻想では,実に生理学的テンションを超えた「体験」という心理学的意味の経験を形成したり解釈したりする連想ということであり,それ自体と現実との間でお互いに一致に進めあったり打ち消しあったりして,そして直しあって幻想と現実の間で可能性に満ちた空間が成り立ち,自己万能感の世界で自己を満足したりする態勢から脱中心化したり,自己中心化の自己を離れたりするのが主体性のシステムである。そこには柔軟性と強固性との間に可能性を満ちるというメカニズムもありえる。それは,「可能性に満ちた空間」自身の性質防御と親しみの間の緩衝として現れ、その自我機能の弾力性である自由に退行できるというは,主観と現実の間の可能性に満ちた空間の具現化する表現の一側面と見なされる。


そして可能性に満ちた空間の萎縮に連れて防衛機制は不適切になるというメカニズムの力動が、「可能性に満ちた空間」に存在する主体性の主観的体験の生き生きとした能動的な体験オーガナイズが壁を庇われて感覚麻痺されるように防衛される,ということへ繋がってくる。実にそもそも「防衛」と名付けられる感覚が,フロイトの指摘した「刺激防壁」を一番基本的な雛形とし,刺激防壁は不適切だと感じられる刺激を避けようとする防衛機制の共同的で基幹的な目指しなのであり,刺激防壁から過保護的にたどってしまうと,超越的志向性を脱落すれば,そもそも刺激防壁が保護しようとすべき生き生きとした感覚の能動性健康は翻って目的の位置付けから防衛の対象の位置付けに移され,健康的作用をする刺激防壁が慢性化になり現実に即した柔軟さが失われ、心理自己や心理自己の環境とコミュニケーションする機能がぎこちなく自己断片化や緊張への調節や再統合の機能が原始自己愛のレベルでの特徴を表し出してしまった一方,柔軟さを欠ける防衛機制の「刺激防壁」こそ、ロジャースが言う自己不一致という「自己概念と経験的自己との大きくなったずれ」が、刺激防壁の硬直さにプラスに比例する自己受容の脆さに連れて大きくなり、そのために自己受容の健全な心理適応の主観的現実に則しなくなってから離人症の感じの能動性を失う傾向が始まるというが判断され得るのである。それが,要するに主体のいる「可能性に満ちた空間」が萎縮して主体の感覚が離人感に薄くされ麻痺して機能が効かなくなる、という主体性の感覚に関わる力動における弁証法的なテンションが柔軟さを慢性的に失われる刺激防壁により段々と破綻してくるメカニズムなのである。

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