精神分析雑談:阿修羅の元型について

精神分析雑談:阿修羅の元型について


古代インドの神話や仏教で描く阿修羅そのキャラクターの元型とは、鏡映的(誇大的)自己愛が修正を受けようとしなく、打ち消しを受容できない自己愛に特徴付けられるパーソナリティ障害の元型と考え得ており,その元型の病理は間主体的打ち消しあったり打ち消され合ったりすることと作り出し合ったり作り出され合ったりすることの弁証法的な絆が裂けた。


そもそも自己というメタファーは、実に変形の充当を受けた抱える環境の仮名と見なされても良く、お互いに打ち消し合って自己の打ち消されも自己の構築のシステムであり,そのため空間的メタファー的な自己という体験の印象とは、発達上の必要な錯覚として、そんな理解は自己の融和性を進めることに助けとなれる。


一方、阿修羅の雛形とされる誇大的自己愛のメカニズムの元型が修正を受けようとしなく、打ち消しを受容できない自己愛に特徴付けられるパーソナリティ障害は,嫉妬の攻撃性を以って誇大性の保証を立てようとするメカニズムで,他人が自分よりある方面がまさって自分に負かしげに自分を修正することを通して表現し、自分との間主観的な関連の弁証法的な一極である打ち消しというを,攻撃性の有能感や優勢感を全て自分の自己愛的世界に治められるような羨望の体験で容認できずに硬く拒み、そしてそんな型はDSM-5で定義すること自己愛性パーソナリティ障害の特徴たちの中で嫉妬または他人が嫉妬を持つ自己のように自分を嫉妬していると思いこみがちが一番目立つのであり,人間世界の争いは多く嫉妬により進められるのをも元型の表象のようで示唆していると言える。


2022年注:その上に阿修羅では女が美しいが男性がすごく醜く,男女共に嫉妬に苦しみながら熱中し性がオープンの天国と正反対になるというように古代インドの神話に描かれた。それは,凡そ家父長制の下でエディプス・コンプレックスの幻想雛形を示唆して,暴力の征服により性的嫉妬が欲情関係を配分したり統制する秩序を立てるから,エディプス・コンプレックスに纏わって嫉妬での権力配分を決める暴力の征服が暴力に長じる男性のイメージに委ねており,男性阿修羅が暴力で病的自己愛の自己愛的羞恥や自己愛的憤怒をぶつけるという侮蔑的で病的な誇大感により醜くなり,女性阿修羅は,美しくてこそエディプス・コンプレックス的に争奪されてから,エディプス・コンプレックス的な嫉妬の秩序に折れ従って嫉妬に内在化し実行して,男性のエディプス・コンプレックスの病的自己愛の嫉妬と同じの病的満足に代償を得ようととする,という家父長制下で社会の病的な欲情パーソナリティ変遷のメカニズムを示唆するかもしれない。

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