ある悪い大学の悪い教員および後押しである悪い事務室担当者

日本経済大学渋谷キャンパスの教授石松氏では,アイドル独裁的な企業家を批評されさせないように,「社会的価値の志向性」を「定性的に定義ができないだ」と公式的にほざくとか,「論文は,分析の対象の様々で微細な現象に対してあちこちの様々な理論を応用することが不科学だ,科学的とは,事前想定した一つの理論だけをずっと応用しなんでもその事前設定した仮説の依拠で解釈する,そんなプロトコルは科学的手続きだ」とか,というふうに勿体振り,「科学的」の権力を熱中的に貪るから機械的な様子を「科学的」として,極めて機械様な思考スタイルを振り回しながら,機械様な思考スタイルを「きちんとした,理路整然で客観である」謂わゆる「科学的」とした。独裁性格のアイドルなどの独裁的権力の地位を守ったり同一視したりし,そして機械様な思考スタイルを「科学的」として過度に同一視・実行して,「科学的」の模様を真似て「科学的」の権力を入手し,更に独裁性格のアイドルが受けた批評や分析というに対して機械様な思考スタイルが無理矢理に否認したり侮蔑したりするときが,恰も自分のそういう様態が「科学的」の権力がアイドルの独裁を守っているのだと感じており,独裁性格のアイドルの独裁など自分を憧れさせた「メリット」を守っていながら,機械様な思考スタイルなので「科学的だ」ということ以て,自分がアイドルの独裁的権力らしく,熱中的に貪っている謂わゆる「科学的」の絶対権力をも持っている,という病理的な自己愛で高飛車さや理不尽さ振り回した。


神妙なことは,そんな教員のそんな遣り口なんて,事務室の行政担当者に庇って,どうのようにほざいてもパワハラしても大丈夫だとように,逆に理不尽さや無理矢理さを被らされる学生なんてに脅威な声や顔立ちを掛けた,不良政治の悪代官らしい慣習が深く身につけたらしい。


そんな教員およびそんな教員を庇う行政の人はのそんな様子振りは,ゴミみたいのじゃないか🤣

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